日中友好の先駆者であった貿易商人・謝国明(しゃこくめい)の墓を包み込むように大きくなった楠。毎年8月21日には「大楠様千灯明祭」が行われている。
月堂宗規(げつどうそうき)を開基として1316年に創建された歴史的にも貴重な寺。元々は博多湾岸にあり、中国との対外交渉の重要な拠点でもあった。境内には「博多べい」(戦国時代の戦災からの復興を願い、焼け石や焼け瓦を埋め込んだ土壁)が残る。ういろう伝来の地としても有名。神屋宗湛(かみやそうたん)や伊藤小左衛門といった博多豪商の墓も祀られている。
延喜年中に地中より発見された梵字の彫刻がある石を祀ったもの。家内安全、商売繁盛などのご利益があるとされている。
継母による「釣り衣を盗んだ」という噂のせいで父親に殺されたという娘を供養する墓。「濡れ衣を着せられる」の語源でもある。
福岡藩の時代に人参畑であったとされる場所で、女性儒学者・高場乱(たか ばおさむ)が開いた塾跡。玄洋社の頭山満(とうやまみつる)や平岡浩太郎などを輩出した。塾の様子は夢野久作の作品にも登場している。
人魚伝説で有名な寺。漁師の網に人魚が掛かりこの寺に埋葬したという伝説から、龍宮寺と名付けられたという。
住吉神社の摂社という由緒ある神社。縁結びの神として、古来より博多の人々に敬恭されている。
高さ約10mの石灯籠は、博多の漬物商・八尋利兵衛が遊園地「向島」を建設した際に開園を記念したもので、戦後に公園に移設された。石垣の内140面に社名広告が彫り込まれ、博多随一の広告塔であった。
1732年に起こった全国的な大飢饉。博多のまちでも約6000人ともいわれる犠牲者を出し、この死者の霊を弔うために地蔵尊が祀られた。毎年8月23日~24日の「川端飢人地蔵尊夏大祭」で施餓鬼供養が行われる。
1274年文永の役の後、次なる襲来に備えて築かれた防塁の可能性が高いとされる遺構を毎週土・日曜10〜17時に公開。
豊国神社は豊臣秀吉(豊国大明神)を祀る神社で、日本各地の秀吉に縁のある地に鎮座する。博多は1887年創建。秀吉に「筑紫ノ坊主」と呼ばれ寵愛された博多の豪商神屋宗湛(かみやそうたん)が、秀吉の死後、屋敷内に祠を建て謝意を表したといわれている。
唐の国へ渡る船の発着場所の跡地。遣唐使によって、朝鮮半島や中国大陸との行き来が盛んになり、貿易の拠点に。
弘法大師が唐から帰国した際に疲れをとったとの言い伝えがある神社。境内には新劇の祖、川上音二郎の生誕記念碑がある。
江戸の人気役者であった七代目市川團十郎が九州に来たのは1834年のこと。 團十郎の博多来演140周年を迎えた1973年には、十代目市川海老蔵(十二代目市川團十郎)が碑銘を揮毫した「七代目市川團十郎博多来演之碑」が中島公園に建てられた。※「福岡市史だより17号」参考